1.なぜ北海道南西沖地震を絵にしたのか
話や文字だけでなく、絵にして視覚に訴える方が伝わりやすいと思ったからです。私は1993年7月に発生した北海道南西沖地震の被災者です。地震とそれに伴う津波に遭い、まさに九死に一生を得る体験をしたことで、素早く避難することの大切さを身を持って学びました。それを紙芝居にして、次代を担う子どもたちをはじめ皆様にお伝えしているところです。紙芝居だけでなく、私の津波体験をまとめた絵本も自費出版しました。絵はまったくの素人でしたが、「命をつなぐ大切さを伝えたい」という一心で、苦心しながら描き上げました。気軽に手に取って読んでいただき、私の津波体験から避難の大切さを学んでいただければと思います。
2.どのような被災体験をしたのか
奥尻高校1年の時、祖父母と暮らしていた奥尻島の青苗地区の自宅で被災しました。忘れもしない午後10時17分のこと。2階で宿題をしていると、突然強い揺れに襲われました。と同時に電気が消え、あたりは真っ暗に。私は慌てて1階へ行きました。たんすの下敷きになっていた祖父を助け出して背負い、祖母の手を引きながら、100mほど離れた、灯台のある高台まで急いで避難したのです。その直後、30m級の津波がゴーッというすさまじい音を響かせながら迫り、私たち3人の住んでいた家屋を飲み込みました。私は懐中電燈だけを手に、取る物も取り敢えずパンツ一丁で避難しましたが、もし悠長に服を着ていたら、家屋ごと津波に飲み込まれていたと思います。
3.どのように未来の備えにつなげるか
北海道南西沖地震による津波で私が助かったのは、おじいちゃん、おばあちゃんの体験を聞かされていたからです。おじいちゃん、おばあちゃんは、1983年に秋田県沖で起きた日本海中部地震を奥尻で経験しました。私は当時5歳でした。おじいちゃん、おばあちゃんに手を引かれ、あの高台にある灯台を目指して坂道を上ったのを薄らと覚えています。それから、おじいちゃん、おばあちゃんから、「いいか、ひろし……」と繰り返し、避難の大切さを教わりました。それが頭にあったからこそ、命をつなぐことができたのです。私の絵本を参考に、ぜひ皆さんにも自宅で津波の話をしていただき、未来への備えにつなげてほしいです。